不登校の子の父親である公認心理師が語るブログ

不登校の我が子の出来事を、父親かつ教育現場で働く公認心理師の立場からお話します

体験授業を受けてきた

さて、2時間半(1-2限)の授業を受けてきた我が子。

「おもしろかったー」の第一声。

 

実はこの体験授業、元々学校側が準備をしている体験授業ではなくて、我が子のためだけに組み入れてくれたものなのです。中3になって早々に個別相談に来た我が子のために、特別にやってくれました。

なので、「授業では何を学んでみたいですか?」と、学校側から尋ねられていたのです。

「わかりました。子どもに聞いておきます。」と返答し、何を授業体験したいかを、我が子に聞くと、当然「CG」とのことです。

CGを体験してみたいという話を学校側にすると、「分かりました。でも、CGも基本はデッサンなんですよね。とりあえず、CGの指導ができる美術の教員に相談してみますので、もし自宅で使用しているパソコンが持参できれば持ってきてください。」とのことでした。

しかも、よく考えたら、我が子はデッサンがとても下手だったので、「そのことは事前に知らせておいた方がいいかな。結構本格的に指導されると『行きたくない』となってしまうかも」との思いが高まり、再度、専修学校に電話してしまいました。

その旨を話すと、「分かりました。大丈夫ですよ。専門の教員がどうするといいか考えてくれています。でも、もしかするとCG作成までは行かないかもしれません。」との返事でした。

とりあえず安心しましたが、我ながら出しゃばりすぎたかな~、と少し後悔しました。でも、体験授業に失敗すると…という心配の方が勝りましたね。

 

ともあれ、体験授業ではデッサンのみしてきたようでしたが、とても楽しかったようです。しかも、「先輩が優しくて、自分の描いた絵を『かわいいー』とほめてくれたよ~」とうれしそうでした。

小さな専修学校なので、基礎コースはおそらく全学年一緒の教室なのかなとも推測しています。なので、先輩の生徒さんが優しくて、我が子もそれがまたよかったのは、とても大切なことでした。

 

我が子は、担当してくれた先生も気に入ったようで、「あまりしつこく指導するのではなくて、必要な時に聞くと教えてくれるのが、とてもよかった」そうです。

(そういえば、個別指導の塾はほとんど続かなかったものな~)

こうして、無事、授業体験が終了し、我が子は「この専修学校に絶対に進学したい」と言うようになりました。

また、無事、授業体験を終えられたので、学校側の我が子に対する評価も大丈夫だったのではないかな、と思われました。

 

 

専修学校の体験授業を受けに行きました

6月末。ついに、進学を希望する専修学校の体験授業を受ける日が来ました。

我が子は、行く気満々です。一度、学校相談で訪れているので、安心感はあるのでしょう。

前回、学校到着がギリギリになってしまったので、もう少し余裕をもって出発。

さて、我が子が体験授業を受けている間、私(パパ)はどうしようか。専門学校の教員としての立場で考えると、「体験授業そのものにまで親がいる」というのはどうでしょうか? 

学校側としては、「過干渉な親なのかな?」「通学したら、保護者は一緒に授業を受けないのだから、実際に大丈夫か?」と疑問を持つでしょう。

ふむ、体験授業そのものにまで親が一緒に居るのは「マイナス」という結論に達しました。

 

そこで、専修学校に向かう車中、

「体験授業を受けている間、パパはどうしようかね~」(パパ)

「ああ~、そうね~」(我が子)

「他の生徒さんもいるし、パパは授業を見ないで、終わったころにまた迎えに来るよ。」(パパ)

「うん、そうだね~」(我が子)

 

『授業を体験するのは自分であって親ではない』と、我が子は当然のこととして認識しておりました。

『うん、いいことだ』と私も思いました。

「自分の意志でこの学校に進みたい」と思って行動しているのは大切です。大人になると大切になる「自律的動機づけ」です。

 

「自律的動機づけ」はDeci & Ryan が提唱した「動機づけ」で、今ではメジャーな動機づけとして認知されています。

親や教師に「言われて」「させられて」、仕方がないからやるのは「外発的動機づけ(他律的動機づけ)」になります。「しつけ」という部分では必要なことではあるのですが、これだけでしか動かない子どもになってしまうのは、どうでしょうか。

一見、「いい子」ですが、「外発的動機づけ」で行動するとパフォーマンスは低いということが明らかにされています。もちろん、人格形成上、大きな影響を与えることは想像できるでしょう。

 

一方、自律的動機づけは、「自分がしたいから」「自分にとって必要なことだから」「自分の将来に大切なことだから」、自分の意志による自己決定でやるものです。

自律的動機づけによって行動すると、継続しやすく、パフォーマンスも良いことが明らかにされています。

 

思春期は「心理的な親離れ」をしていく時期です。(経済的にはまだ養護下にありますが)

高校への進学も、「親が言うから」「教師がいいと言うから」ではなく、「自分がこうしたいから、この学校に行きたい」と、自律的に動機づけられて進学した方が、継続しますし、成績もよくなると考えられます。

子どもは、自分の意志で人生を歩み出している感覚を得て、「自分は生きている」という実感を得るのではないでしょうか。

 

ともあれ、無事、専修学校に到着。ちょっと車中で時間をつぶして、いざ学校へ。

我が子も、ちょっと気分が高揚している様子。

前回、学校説明をした先生が再び対応してくれました。さらに、今日、我が子を担当してくれる先生も紹介されました。結構あっさりした印象の方で、我が子はその方がよいので、「いいかも」と思いました。

 

「これから始まって12時半頃まで授業なのですが、お父さんはどうされますか?」と先生。

「そうですね。他の生徒さんもいるでしょうから、終わったころにまた迎えに来ます。」と私。

「そうですか~(と安心した様子で)、ちょっと大変ですが、そのようにお願いします。」(先生)

 

やはり、正解でしたね!

私と別れて先生に付いて体験授業に向かう我が子も、私に一瞥するくらいで、ずんずんと教室に向かっていきました。

授業の体験を楽しみにしている様子がにじみ出ており、上手くいきそうで、安心しました。

 

そうだ、どこで2時間半、時間をつぶそうか…

 

 

 

 

体験授業と校長面談が同じ日に!

急遽、新しい校長先生と面談することになりました。

 

担任の先生から電話があり、その電話で日時を決めたい感じ。しかも、今週来週中くらい、すぐにという感じ。

私(パパ)が仕事を休める日を探しつつ、校長先生の都合もいい日となると。

あるじゃないですか。専修学校に体験授業に行く日(6月末)の夕方が。

で、専修学校の体験授業を午前、夕方に校長面談と予定を組みました。

  

そこで、担任の先生とのやりとりを聞いていた我が子が一言。

「体験授業と同じ日に入れたね~」

そうか、自分(パパ)の都合で決めてしまって、我が子の意見を聞かなかった!

「ああ~、ごめん。勝手に決めちゃった! 大変だよね。面談日を変えようか?」(パパ)

「いや、大丈夫。6月中にやっちゃいます。7月から配信される『SKY』(スイッチの新しいゲームソフト)を気兼ねなくしたいので!」(我が子)

なるほど、それならいいか。結果オーライです。

 

勝手に決めてしまった反省はあるので、我が子に謝りました。体験授業は楽しみ半分緊張半分だそうで、校長面談はストレスだということです。

「でも、校長先生にも、『今日、専修学校の体験授業に行ってきましたよ。その学校に進学希望です』と言えるし、そのために相談室に登校しているし、言えることがあるから大丈夫だよ。」という話をすると、「まあ、確かにそうかな」と、まあまあ、納得している様子?

 

ちょっと、予想外の校長面談が入り、不安要素が増えてしまいましたが、とうとう専修学校の体験授業当日を迎えました。

 

相談室利用の目標を記載する必要が…

相談室から帰ってきた我が子。

「相談室を利用するのに書類を書かなければいけないんだってー」

どんな書類かなと思ってみてみると、相談室を利用するにあたっての目標を記載するものでした。

目的であれば、「自宅以外に出て他者との交流を図ること」なのかなと漠然と考えていましたが、「目標」と言われてしまうと「普通教室に行くことを目標としなさい」と強要されているようなプレッシャーを感じてしまいました。文字で示されると、真意が分かりにくいことは多いですよね。

とりあえず、「目標は、毎日、午後2時過ぎに相談室に行き、3時過ぎまで過ごすこと」と書いてみました(親が記入する書類です)。

元々必要な書類だったけども、中2の途中から相談室に行き始めたので、この書類を記入しなかっただけなのか、校長先生が交代したので新しくできた書類なのか。

まあ、学校ですから必要書類だとは思うので、書類を出すこと自体は抵抗感はないのですが、「普通教室に行くこと」を目標に相談室に来ることが強いられたら、嫌だなーという気分にはなっていました。

 

そんな中、「新たに赴任した校長先生と面談してください」という連絡が、担任の先生から入りました。

うわー、せっかくこの間校長先生との面談を終えたばかりなのに。「あのとても理解のある校長先生がもう一年定年が遅かったらよかたのにー」とついつい思ってしまいました。

今度の校長先生はどんな考えを持っている人なのだろう。ちょっと不安を抱えつつも、場合によっては、親が「我が子の不登校や今後についての考え方」を説明し、しっかりと校長先生と話し合う必要があるなと、心を固めました。

相談室の先生が異動により新しい先生になった

3月末といえば、学校の先生が異動する時期ですね。

我が子がコンスタントに通っている相談室の担当の先生も、異動で他校にいくことになりました。

替わりに、新しく相談室担当の先生が赴任しました。

新しい先生もいい先生なのですが、我が子曰く「『普通教室に行くための相談室だから』という圧力が強いんだよね~」。若い女性の先生のようで、熱心なのはいいのですが、「なんとか、やっと相談室に行っている生徒」にとっては、「普通教室に行くための相談室」というのは、メリットのないプレッシャーにしかなりません。そんな圧力をかけられては、相談室にやっとの思いで通っている生徒は相談室に行けなくなってしまいます。

不登校の生徒のための相談室が、不登校を創り出すという構造は良くありません。

「ちょっと様子を見て、何ならパパから担任の先生に相談してみようか? 担任の先生なら理解してくれるよ。」(パパ)

「うーん。もうちょっと様子を見てみる。」(我が子)

「じゃあ、とりあえずサッと行って、ちょっと滞在してサッと帰ってくれば?」(パパ)

「でも、最近、相談室の出席ノートが変更になって、来た時と帰る時の時刻と相談室で何を目的に何をしたかを、記入するようになったんだよ。」(我が子)

 

うーん、どうなんでしょう。確かに、「目的をもって登校させたい」「普通教室に通うことを目標にさせたい」という学校の意図は理解できるのですが、そのような「よかれと思ってのルールの押し付け」が不登校の生徒を締め付ける場合もあることを、学校側は分かっているのでしょうか?

 

そういえば、これまでの校長先生が定年退職され、4月から別の校長先生が赴任したのでした。この一連の相談室の変化は、新しい校長先生の影響があるのかもしれません。

一抹の不安を抱えつつ、日が過ぎていきました。

RAIN OF JULY

雨の多い7月になりました。

少しずつ、自分のペースで、動き出した我が子。

「CGの仕事をしたい」という夢を持つことができ、そのために専修学校に行きたいと願い、不安ながらも自分を信じて動き出した我が子に、贈りたい曲があります。

私の大好きな MAN WITH A MISSION の 「RAIN OF JULY」です。

 

七月の雨の中 涙の数を数えてた
今朝見た夢の続き 見れる気がして目を閉じた

打ちのめされて 世界の果てで 取り残されたような僕は
君の言葉を噛みしめるように 思い出して笑ってみせた

そうさ
信じ続けた数だけの奇跡が生まれるはずだと
君ははにかみながらも笑っていた
世界中を敵に回したとしても 僕は祈り続けてるよ
君に光が注ぐその日を

七月の雨の音 傷跡をそっとなでてゆく
僕らの過ちを 優しく洗い流してく

失いかけた あの日の夢を 踏みにじられたような僕は
君の想いを忘れないように 声も出さずに叫んでた

だけど
信じ続けた数だけの奇跡を手に入れるのだと
君ははにかみながらも誓っていた
世界中が敵に回ったとしても 僕は祈り続けてるよ
君に光が注ぐその日を

だけど
信じ続けた数だけの奇跡が生まれるはずだと
君ははにかみながらも笑っていた
世界中を敵に回したとしても 僕は祈り続けてるよ
君に光が注ぐその日を

 

私は我が子(君)にこの曲を贈りたい。

君の思いに光が注ぐことを祈り続けているよ。

ついに学校見学当日を迎える

ついに、学校見学の当日が来ました。

10時に約束しているので、いつも通りに起床しておけば大丈夫です。

ちゃんと起きるだろうか、寝たままにならないだろうか、と気を揉んでいました。

 

さて、実際は。

緊張はしているようですが、さっさと準備をして、当たり前に「行くよ」という感じでした。その様子を見たパパはかなりホッっとしました。

準備を済ませて、車で出発。渋滞を考慮したつもりでしたが、予想より混んでいて、10時ピッタリに到着!「ふぅー、よかった」

それほど大きくはない建物の、専修学校の入り口ドアを開けると、担当の先生が玄関で待ってくれていました。お待たせしなくてよかった~

 

土曜日で生徒がいないということなので、とても静かです。

会議室のようなところに案内されて、さあ個別相談の始まりです。

まず、先生から「どのコースが希望なのかな?」と質問。

我が子は「自分が答えていいの?」という表情を私を見るので、目で「いいよ」を返答。

 

「はい。CGコースを希望しています。」(我が子)

「そうですか。美術コースは厳しいよ。朝から晩まで絵を描き続ける感じになります。美大を目指すコースなので、美大受験の予備校にも行くことが義務付けられるし、予備校から帰っても絵を描いて練習して、という感じですね。美大受験にはある程度の英語や国語の試験知識も必要になるので、その勉強もしなくてはならなくなるよ。どうだろう、大丈夫かな?」(担当の先生)

と言う感じで、美術コースは「相当に厳しい」という話を伺いました。なるほど、専門学校の教員でもある私は、理解できました。本当に大変なのだと思います。その覚悟と、能力がないと入学も厳しいし、続けられないよ、とアドバイスをしてくれているのです。

 

我が子の様子をみると、「うーん、ちょっと無理かな~」という表情です。

ちょうど担当の先生が呼ばれて中座したので、我が子と緊急ミーティング。

「どうだろう美術コース?」(パパ)

「いや、ちょっと無理だと思う。」(我が子)

不登校の子を対象としたコースがあるのも知っている?」(パパ)

「うん」(我が子)

「授業の半分は好きなことを勉強できるから、CGも学べるのじゃないかな?」(パパ)

「うん、そのコースを考えようかな。」(我が子)

我が子は、「話し手」の意図をきちんと読み取ることができるのだなと、改めて認識しました。

 

そうして、担当の先生が戻ってきました。

「先程は、一方的に話してしまって申し訳ありません。どうですか?」(担当の先生)

「美術コースは難しいと思いました。こっちのコース(不登校の生徒を受け入れているコース)がいいのかなと思います。」(我が子)

「(わかっていただけましたか、という感じで)そうですか!」(担当の先生)

「このコースの場合、大学入学資格は得られるのでしょうか?」(パパ)

「大丈夫です。得られます。卒業さえしていただければ大丈夫です。」(担当の先生)

「選択授業ではCGを学びたいということであれば、学べるのでしょうか?」(パパ)

「もちろん学べますが、CGを描くにもデッサンは基本なんです。CGだけ、というのは難しいですが、そのための技能を学ぶ授業は専任の教員がいるので、できますよ。CGだけでなく、デッサンとかも学ぶ必要がありますが、大丈夫かな?」(担任の先生)

「はい、がんばります。将来、背景とかでもいいのでCGを描く仕事をしたいと思っています。」(我が子)

「そうとなると、専門学校にも行く必要がありますね。専門学校にも良し悪しがあるので、今ははっきりとは言えませんが、入学した後、進学するときには、どの専門学校がいいのかアドバイスできます。(なんとなく、どこの専門学校か匂わせて)そこの専門学校だと、卒業後、引く手あまたです。」(担当の先生)

「そうなんですね。そのためにも大学入学資格が欲しくて、このコースでは不登校の子への配慮もしてくださるということで。」(パパ)

「まずは、学校に来ることから慣れてもらって。開始時間も遅めにしているので、ちょっとずつね。」(担当の先生)

などなど。。。

 

「よかったら、一度、授業を体験してみませんか?」(担当の先生)

「したいです。」(我が子)

 

ということで、今度は、授業を体験することになりました。

 

きっと、専修学校の担当の先生は、我が子が不登校ということで、まずは不登校の子を対象としたコースを勧めたかったのだと思われます。

その意味で、結構すんなりと親子とも納得して、そのコースに希望変更したのはよかったのでしょう。

つまり、「そのコースで求めている生徒」と「我が子」がある程度マッチしていると、担当の先生は判断したのかなと思われます。

 

少し、進学という目標に近づいた気がした一日でした。