不登校の子の父親である公認心理師が語るブログ

不登校の我が子の出来事を、父親かつ教育現場で働く公認心理師の立場からお話します

専修学校の体験授業を受けに行きました

6月末。ついに、進学を希望する専修学校の体験授業を受ける日が来ました。

我が子は、行く気満々です。一度、学校相談で訪れているので、安心感はあるのでしょう。

前回、学校到着がギリギリになってしまったので、もう少し余裕をもって出発。

さて、我が子が体験授業を受けている間、私(パパ)はどうしようか。専門学校の教員としての立場で考えると、「体験授業そのものにまで親がいる」というのはどうでしょうか? 

学校側としては、「過干渉な親なのかな?」「通学したら、保護者は一緒に授業を受けないのだから、実際に大丈夫か?」と疑問を持つでしょう。

ふむ、体験授業そのものにまで親が一緒に居るのは「マイナス」という結論に達しました。

 

そこで、専修学校に向かう車中、

「体験授業を受けている間、パパはどうしようかね~」(パパ)

「ああ~、そうね~」(我が子)

「他の生徒さんもいるし、パパは授業を見ないで、終わったころにまた迎えに来るよ。」(パパ)

「うん、そうだね~」(我が子)

 

『授業を体験するのは自分であって親ではない』と、我が子は当然のこととして認識しておりました。

『うん、いいことだ』と私も思いました。

「自分の意志でこの学校に進みたい」と思って行動しているのは大切です。大人になると大切になる「自律的動機づけ」です。

 

「自律的動機づけ」はDeci & Ryan が提唱した「動機づけ」で、今ではメジャーな動機づけとして認知されています。

親や教師に「言われて」「させられて」、仕方がないからやるのは「外発的動機づけ(他律的動機づけ)」になります。「しつけ」という部分では必要なことではあるのですが、これだけでしか動かない子どもになってしまうのは、どうでしょうか。

一見、「いい子」ですが、「外発的動機づけ」で行動するとパフォーマンスは低いということが明らかにされています。もちろん、人格形成上、大きな影響を与えることは想像できるでしょう。

 

一方、自律的動機づけは、「自分がしたいから」「自分にとって必要なことだから」「自分の将来に大切なことだから」、自分の意志による自己決定でやるものです。

自律的動機づけによって行動すると、継続しやすく、パフォーマンスも良いことが明らかにされています。

 

思春期は「心理的な親離れ」をしていく時期です。(経済的にはまだ養護下にありますが)

高校への進学も、「親が言うから」「教師がいいと言うから」ではなく、「自分がこうしたいから、この学校に行きたい」と、自律的に動機づけられて進学した方が、継続しますし、成績もよくなると考えられます。

子どもは、自分の意志で人生を歩み出している感覚を得て、「自分は生きている」という実感を得るのではないでしょうか。

 

ともあれ、無事、専修学校に到着。ちょっと車中で時間をつぶして、いざ学校へ。

我が子も、ちょっと気分が高揚している様子。

前回、学校説明をした先生が再び対応してくれました。さらに、今日、我が子を担当してくれる先生も紹介されました。結構あっさりした印象の方で、我が子はその方がよいので、「いいかも」と思いました。

 

「これから始まって12時半頃まで授業なのですが、お父さんはどうされますか?」と先生。

「そうですね。他の生徒さんもいるでしょうから、終わったころにまた迎えに来ます。」と私。

「そうですか~(と安心した様子で)、ちょっと大変ですが、そのようにお願いします。」(先生)

 

やはり、正解でしたね!

私と別れて先生に付いて体験授業に向かう我が子も、私に一瞥するくらいで、ずんずんと教室に向かっていきました。

授業の体験を楽しみにしている様子がにじみ出ており、上手くいきそうで、安心しました。

 

そうだ、どこで2時間半、時間をつぶそうか…