不登校の子の父親である公認心理師が語るブログ

不登校の我が子の出来事を、父親かつ教育現場で働く公認心理師の立場からお話します

学校見学で聞いておきたい事

進学希望の専修学校に、中3の4月上旬に学校見学に行くことになりました。

学校側に聞いておきたい事、探りたい事、伝えておいた方が良い事、を明確にしておくことは大切です。不登校の子ですから、ここは親の役割でしょうか。

 

我が子には事前に学校のパンフレットを見てもらい、どのコースに入学したいかを考えてもらいました。その結果、美術コース(CG専攻)がいいということでした。

とにかく「CGを学びたい」という希望があるのですから、当然でしょう。しかし、それほど熱心にパンフレットを見ている感じがないので、「真剣に考えた結果なのかな?」という疑問もありました。

しばらく様子を見ていると、時々パンフレットを見ている跡があったので、我が子なりには検討しているのかなと、まぁ安心しました。

 

とはいえ、親としては、果たしてこのコースが「どのレベルの生徒を求めているのか?」ということは知りたかったです。専修学校以外にも、美術予備校に通うことが義務づけられているのも、気になっていました。本気の美術専攻コースだとついていけない可能性が高いからです。そもそも、入学できないのでは、という推測も。

本気に美術を突き詰めたい生徒を求めているのであれば、我が子は「絵を描くのが上手でない」「上手に描きたいのに描けないことに劣等意識を持っている」ので、学校が求めている生徒像と我が子はマッチしないことになります。

 

 その意味では、不登校の生徒を受け入れているコースについても、実際のところを聞きたいと思っていました。学校がこのコースの生徒に求めていることと、我が子が学校に求めていることが、このコースに進学することでマッチするのか、ということです。

このコースでも授業の半分以上は、生徒が好きなことを選んで学べるカリキュラムになっているということなので、CGなどが基本的なレベルから学べるのかも確認しておきたいところです。

あと、本当に大学入学資格をもらえるのかも、何か条件があるようだと、ですし。

 

もちろん、もっとも大切なのは、子ども自身が「その学校や先生の雰囲気を気に入るか」です。それがないと、進学しても、続かないですものね。

 

それから、学校見学を予約した電話で、我が子は不登校であることは学校側に伝えました。不登校かどうかによって、学校側としても説明が違ってくるでしょうから。学校見学をスムーズに進めるためには相手に知らせておくべき情報かなと思いました。

正直、ちょっと言い淀んでしまいましたけども…

 

いったいどうなるのか。良い方向に進んで欲しいと願いながら、学校見学当日を迎えました。

 

 

 

 

4月になったので専修学校に電話してみた

ついに中3の新学年を迎えました。

4月になったので、我が子が進学を希望している専修学校に電話をしました。

そう、専修学校に行ってみて、実際のところをいろいろと聞いて、確認するためにです。

すると、4月上旬なら大丈夫ということで、学校訪問日が決まりました。

さて、我が子は一緒に行こうとするのだろうか。いざ、行かないという可能性もあります。

 

専修学校に行って話を聞きに行く日が決まったけど、行く?」(パパ)

「おー、ついに!いつ?」(我が子)

「来週の土曜日」(パパ)

「うん、わかったー」(我が子)

「じゃあ、パパと一緒に車で行こうか」(パパ)

「うん!」(我が子)

 

我が子は行く気満々でした。ホッとしたような、ちょっと良い意味で意外だったような…

ともあれ、さあ、行こう!

 

しかし、漠然と行くのはよくないです。

 

まず、学校見学の時点で、専門学校は入試が始まっています。多数の生徒が放っておいても集まる専門学校ならともかく、ほとんどの専門学校は生徒集めに必死です。

しかし、「この学校に合わない(つまり退学してしまうであろう生徒や、教えるのが難しくて対応しきれない生徒)」か、それとも「この学校に合う(つまり意欲があって通学してくれて、退学しない、比較的素直で教わる態度が良い生徒)」か、を見極めようとします。

学校見学の受け答えの様子や態度、視線、身だしなみなどを、学校側は見ています。

私は専門学校の教員で見学対応や入試の面接官もするので、よくわかります。

 

となると、最初の学校見学に行くときの我が子の様子は、今後の受験に大きく影響します。そもそも、希望する専修学校不登校児も受け入れるコースは、入学試験に「授業体験」というものも含まれています。

これは、その子が学校に受け入れ可能かどうかを見極めたいからに他ならないと推測できます。

こうしたことを、我が子に理解させておくことは入試に合格するために必要なのですが、逆にプレッシャーになってしまうのは良くないです。どんな風に話をしたらいいかなと、考えつつ、伝えてみました。

「今度の見学の時にも『どんな生徒さんかな』と見られているとは思うよ」と我が子に言うと、

「そうかー、パパは専門学校の先生だもんね。どうすればいいのかな?」と我が子。

「この間、校長先生と面談したじゃない。あの時、校長先生が『とってもいい返事です』とほめてくれていたよね。だらか、あの時と同じような感じで話をすればいいよ」とアドバイス(パパ)。

「返事の仕方とか、小学校の生徒会で教わったんだよねー。本当に生徒会に入ってよかったー」(我が子)

 

我が子を臆させるのではなく、勇気づけることができて、ホッとしました。というか、結構、我が子は親が思うより逞しいのかな。

でも、「当日、本当に一緒に行けるかな」という一抹の心配はありました。

 

 

 

 

 

 

新学年の開始はどうすればいい?

中3前の春休みも終わりに近づきました。

「そういえば、新学年はいつ登校すればいいの?」

親も我が子も「わかりません!」

親と我が子で「マジっすか!」

確かに、これまで、というか中2の新学年の開始の時はまったくの不登校で、部活も相談室も行っていなかったので、担任の先生から連絡があって親が学校に出向く、という流れでした。だから、いつから新学年がはじまるかとか、どこに行けばいいのかとか、「心配する」必要がなかったのです。

今回は、相談室ではあれ、ほぼ毎日登校していたので、こちらから動かなければなりません。

しかし、我が子には「友だち」という仲間がおります。

「友だちにLINEして、クラス発表の日時と、授業開始日を教えてもらいなよ。」(パパ)

「うん、そうしてみるー」(我が子)

 

しばし連絡しておりました。

 

「やっぱり、新しいクラスは登校初日の朝に張り出されているらしいよ。」(我が子)

「クラスが分からないと下駄箱に上履きを置いておけないし、自転車置き場も新しい位置になっているよね。どうすればいいのかな~」(パパ)

「うーん、どうしようかな。」(我が子)

そもそも、相談室は午後2時から行っており、午前から行く気にはならない。他の生徒がワイワイ来ている時(つまり朝)には行きたくないし、もちろん教室に行くことはない。結論、「登校初日の午後に行ってみますか」となりました。

 

登校日初日、午後に行ってみたようです。

が、「門が閉まってた!」(我が子)

どうやら、初日は部活もなく、すぐ帰宅となっていたようです。

(うーん、どうしたらいいかな~)とパパが悩んでいる脇で、我が子は登校している友だちにLINEで、自分が「何組」になったか聞いておりました。

「〇組になったよー」と我が子。

「明日から、普通の授業が始まるっていうから、明日、相談室に行ってみるよ。」(我が子)

「自転車はどこに置く?」(パパ)

「教えてもらうから大丈夫。」(我が子)

親の気がかりは余計なことでした。我が子は自分でどんどん解決していきました。

 

翌日、実際に相談室に行ったようで、そうしたら、

「担任の先生は2年生と同じだったよ。担任の先生が来てくれたし、自転車置き場も教わった。」とあっさり。

 

ついつい親は先回りして心配してしまいますよね。特に不登校の子が、学校に行ったり行かなかったりの時はなおさらです。

もちろん、不登校の子が、学校に行けるか微妙な時は、親と先生の協力体制は必要だと思いますし、親が子をフォローすることも大切だと思います。

今の我が子は、その状態を越え、「自分から行動する」自立的・自律的な状態になっているのでしょう。ここで、親が見間違えて過干渉になってしまうと逆効果になるのでしょうね。今回は、親より先に我が子が行動したので、過干渉にはなりませんでしたが、その見極めは実際には難しいことだと、実感しました。

 

 

 

中3前の春休みを「満喫?」

中2の3学期に相談室登校を続けてきたせいか、中3前の春休みは「休み」として満喫しているみたいです。「春休み」として「休んでいる」という感覚が持てるので、友だちの家に遊びに行ったり、コンビニで買い食いしたりできているのでしょう。

とはいえ、新型コロナの感染拡大も終息しておらず、どんどん出かけるという気分になりきらないのは、我が子も同様です。

部活も農作業の時だけでも参加すれば?と尋ねましたが、農作業はいいけども、そのあと、行った農作業について新聞を書くことになるようで、それが嫌だそうです。

小説を自由に書くのは好きなのですが、題材も指定されて枠にはまった形で書くのが本当に嫌いなんですねー。それはそれで仕方がない。仕事によっては型にはめてできないと成立しないことも多いのですが、CG加工を地道に続けている姿を見ると、そういうことがまったくできないわけでは、なさそうです。

自由気ままにやりたい、ということではなく、「やりたいこと」がやりたい、という気持ちが強いのかなーと感じております。「やりたいと思うこと」を目一杯やってみる、それができる環境であるならば、そうしてみることがいいのではないかと思っています。

私は専門学校の教員をしていますが、社会人や主婦(主夫)業、あるいはずっとひきこもっていたり、うつやパニック障害で仕事を休んでいたり、世界中を旅してきたりなのどの、30代~50代の方も多く入学してきます。今の日本は、学びなおそうと思えばできる世になったのだと、感じています。

なので、今、普通高校に行って、大学に行かないと取り返しがつかない、とは思わなくていいと実感しています。

私が高校生の頃は、偏差値の高い高校に行って有名大学に行くことが、最大かつ無難な幸福をもたらすと思われていましたし、親も子にはそのように仕向けていました。でも、大学まで行った私は中退し、その後のフリーター生活を経て、もう一度大学から行き直しました。

自分の経験からも、自分がやろうと思えば、それからでも学び直して、仕事もできる、今はそう思っています。

 

 

 

小説を読むのは好きみたい

不登校の我が子、そこそこ本を読むのが好きだったのですが、ネットでネット小説を読むのが大好きなようです。

自分が書いた小説をアップして、多くの人が閲覧できるサイトがあるようです。そのサイトを我が子に教えてもらい見てみましたが、本当に多くの人が、自由に小説などを書いて、投稿しています。

なかには、出版を目指している人もいるようです。

投稿された小説は様々で、親としては心配な面もあったのですが、投稿者はタグをつけて、成人向けとか、暴力的な描写があるものとか、明示するようなシステムになっています。

我が子とは、いい物もあればひどい物もあるよね、という話や、子でも向けでないものもあることなどは、話をしました。会員登録して年齢を明示しないと、成人向けとか、暴力的な描写があるものは閲覧できないようにはなっています。

ギャグ系をよく読むと申しておりましたが、何を読んでいるかは詮索しないようにしました。

すると、自分でも小説を書きたくなったようで、何篇か書いて投稿したようです。ポケモンを題材にした話ということのようですが、さすがにどの小説を書いたのかは教えてくれません。ペンネームも不明なので、「探してもいいよ」というので探してみましたが、分かりませんでした。

でも、何人かの人が読んでくれたようでした。我が子としては、自分の考えたことを表現したかったようです。

それは、yutubeへの動画投稿でも、ゲーム実況だけでなく、ゲームのストーリー背景などの考察をしたものを投稿したりするように、自分の考えを表出したいのだと思いました。

賛否やメリットデメリットなど交錯しているネットですが、自分の意見を表現できる場としてもネットがあるということは、良い面としてあると思いました。大きな問題は、自分が表出したことに対して、思いやりのない誹謗中傷が書き込まれてしまい、心が傷ついてしまうことです。幸い、そのようなことはないようです。

基本的にはネット小説を読む方が多く、しょっちゅう「げらげらと笑って」小説を読んでいるので、ギャグ系を読んでいるでしょうね。

自分が子どもの頃も、ギャグマンガは大好きで何度も読み直していましたしね。

私自身も小説を読むのは好きなので、いくつかの本が本棚にあります。我が子は、表題にひかれて村上春樹さんの「騎士団長殺し」を読んでいました。反ナチスレジスタンスの話も出てくる内容なので、途中で「どんな内容なの?」と聞かれたのですが、上手に説明できませんでしたね。屋根裏にあった絵がキーになって、ナチスの時代のドイツにトリップしてしまうんだけど、とか説明してみたけども、「ふーん、難しいねー」と言っておりました。とりあえず、上巻だけ読んだそうです。

今は、田口ランディさんの「コンセント」をちょっと読んだりしているみたいです。なかなか刺激的な表現もある小説ですが、高校生ともなると、性というものとも無関係でいることはできませんしね。

夏目漱石だけ読め、というわけにはいきませんから。夏目漱石ドストエフスキイもおもしろいですが、もちろん。

でも、ネット小説もいいものはあると思います。

相談室登校の友だちも少し元気に

不登校の我が子、相談室登校をまあまあ安定して行っています。

相談室には、小学校の友だちも登校していました。クラスメイト関係で(おそらくいじめなのかな…)で不登校となり、相談室に何とか来ているという状態でした。その子も、小学校の時から我が家に遊びに来ていたのですが、中学校に入ってからとても元気がなくなって、かなり心配していた子でした。

私は以前、仕事で精神障害者の施設で働いていたのですが、うつ病の方には「つらそうな」「ネガティブな」雰囲気があることを感じていました。先輩の心理師も同様のことをいいますし、当時の施設長も同様のことを言っておりました。

その子にも、中学に入ってから、「うつ」の方が放つのと同じような「つらそうな」雰囲気を感じていたのです。いじめが原因で学校に行くのがつらかったということを聞いて、あの時は本当につらい時期であったのだろうと心が痛みました。

しかし、その子も、中2の終わりころになると、徐々に元気を取り戻してきていて、正直ホッとしました。我が家に遊びに来た時の雰囲気に、つらさが減ってきたように感じられたからです。

我が子が言うには、その子は、我が子が相談室に行くまでは「相談室のカーテンの奥に隠れたままでいる」状態だったそうです。我が子とは仲がいいので、我が子が相談室に行くと「話をしたりする」のだそうです。

我が子が相談室に行くことは、その子にとって少しでもいい方向に作用していたのかな、と思います。もちろん、我が子にとっても、その子がいるおかげで相談室にも行ってみようと思えたのでしょうから、本当に友だちがいるということが、双方にとって良かったのだと思いました。

 

春休みとなる

中2の3学期も何はともあれ、相談室登校がまあまあ安定して経過し、中3前の春休みとなりました。

思うとあっという間なのかな。どうだろう。行き渋りから、不登校でいいんじゃない、となるまでは長かったですね。不登校でいいじゃない、子どもにおまかせ、と思えてからは、自然な時間の経過だったかな。家では楽しく家族で過ごせているので、ストレスはないので、やはり自然な時間の流れでしょうか。

さて、春休み。ちょこちょこと友だちが遊びに来るのは相変わらずですが、ちょっと驚いたのが、我が子が友だちの家に遊びに行くことが生じてきたことです。

小学生の時は、友だちが我が家に来ることはもちろん、我が子が友だちの家に遊びに行くことも度々でした。不登校になってからは、友だちの家に遊びに行ったことがなかったので、うれしい意外でした。

春休みなので、日中に歩いていてもいいということもありますが、友だちの家に行けるだけの「自信が出てきた?」「後ろめたさが薄まった?」なのでしょうか?

毎日、自転車で相談室ではありますが、登校して、出かけているということが、良い方法に作用していることは間違いなさそうです。

中1の不登校になったばかりの頃、フリースクールの体験会に引っ張り出そうとして我が子と一緒に最寄り駅まで行ったときの「背中を丸めていやいや歩く、後ろめたそうな我が子の姿」と比べると、本当に元気に自転車で出かけていく姿が、うれしくありました。

あの時、あの後もフリースクールや教育センターなどに「無理やり」連れて行こうとし続けていたら、どうなっていたのだろうか。背筋を伸ばして、笑顔で、友だちの家に遊びに行くようになっていただろうか。

その答えは、わかりません。

しかし、私たち親は、今の我が子の姿をみていると幸せです。自分がしたいと思うことを、自分がしたいからする、生命力を我が子から感じることができます。「生きるエネルギー」があれば大丈夫、今だからなのでしょうが、そう思うことができます。