不登校の子の父親である公認心理師が語るブログ

不登校の我が子の出来事を、父親かつ教育現場で働く公認心理師の立場からお話します

不安定ながら相談室→部活の登校をしている

相談室→部活への登校も、最初は週に3回行ったかと思うと、まったく行かない週もあり、安定していたわけではありませんでした。


まあ、そこは「子どもにおまかせ」でした。


最初は、「おっ、今日は学校に行ったんだ」と喜んだり、「今日は行かなかったんだ」とがっかりしたり、していましたが、「子どもにおまかせ」しているんだから、一喜一憂しない。一喜一憂するということは、親が勝手に(そう、勝手にです)期待しているから。
よくよく、自分に言い聞かせ、夫婦でもちょくちょくその話をして、親が勝手に期待しないようにしました。
最初は、理性では分かっていても感情はついてきませんでしたが、だんだん自然になってきました。子どもが不登校で家にいるのが自然になったのと同じかな。

 

部活である科学部、正しくは科学技術部です。まあ、パソコンを使って何かするのは分かりますが、農園(校内にある小さいもの)で農作物を作って収穫もしていたのです。
我が子は、パソコンも好きでしたが、農作業も好きなので、これはこれで良かったみたい。
相変わらず、草取りとか楽しくやっているようでした。今回は、ジャガイモなど、いくつか収穫もしてきました。

部活はジャージで活動する決まりなので、制服を着ないで済むのも良かったようです。

 

それでも、相談室→部活の登校は、とても不定期なままでした。
自転車通学(結構遠い)なので、雨の日は必ず休み。
動画の編集が佳境に入っていると休み。
ゲームが楽しすぎて休み、もあったと思います。

ただ、親からは「今日学校に行った?」と詮索することは絶対にしませんでした。それでも、学校で何かあると、「今日部活で○○したよ」とか、適宜話をしてくれるので、その時はしっかりと話を聞いてあげるように心掛けました。

 

自分の意志で学校に行っていることを、親が勝手に期待して詮索したり、心配したり、子どもにとっては余計なこと、むしろ邪魔なことです。
しかし、登校したこと、しないこと(時々、行かなかった理由を自分から言ってくることもありました)を、子どもの方から話してくるときは、しっかりと聞いてあげることは大切です。


子どもはまだまだ安定していないのです。きっと、登校できた自分に喜んだり、登校できなかった自分に傷ついたりしているのです。登校できた喜びを親と共有したいときは、親に「今日部活で○○したよ」と話してくるのでしょう。そして、学校に行けなかった(行かなかった)罪悪感を親と共有することで癒して欲しいときには、登校しなかったことを親に話してくるのでしょう。