不登校の子の父親である公認心理師が語るブログ

不登校の我が子の出来事を、父親かつ教育現場で働く公認心理師の立場からお話します

子どもにおまかせ

我が子が学校にやはり行かなかった月曜日の翌日。火曜日も行かなかった。

 

誰かに相談したくなった。私が信頼している先輩心理師に相談する。彼は中学校に1度も行かず、大検で大学に行き、大学院を修了している。

 

私:「実は、私の子どもが学校に行かなくなりまして。先生も不登校だったはずですが、どうだったのですか?」

先輩:「中学には1日も行かなかった。今思うと親との関係もいろいろあったと思う。その時は、テレビだけが拠り所だった。1日中テレビをつけていた。」

私:「私は、子どもに行きたくなければ行かなくていい。行きたくないと言えた勇気を褒めました。父親の私も実は中学校に行きたくなかったのに言えなかったと。」

先輩:「そうですか。あなただからあえて言いますが、自分の期待をかけすぎていませんか。子どものことは、子どもにおまかせしましょう。」

私:「子どもにおまかせ、ですか。」

先輩:「そう。話を聞いていると、あなたの子はエネルギーが強そうですね。大丈夫。子どもにおまかせしましょう。」

 

「子どもにおまかせ。」確かに、それはいいかも。私も、子どもの安全基地になる!って、肩に力が入りすぎていたようだ。それはそれで、子どもに目には見えない影響を与える。少し肩の力を抜いて、子どもにおまかせするか。

安全基地であること

安全基地は M.Ainsworthが提唱し、J.Bowlbyの愛着理論でも中心的な考えとなっています。健全な愛着を形成し信頼できる養育者をもった子どもは、養育者を安全基地とした探索活動を活発に行うことができます。

安全基地という考えは、乳児~幼児の研究で明らかにされてきましたが、児童にも当てはまりますし、成人してからの行動にも影響します。

家庭の中で育つことが多い日本では、家庭が心の底から安心できる場所であることが大切です。心の底から安心できる家庭があることで、心のエネルギーが充填でき、何かに向かってする心のパワーが生み出されるのです。

不登校になっている子どもは、学校に行くという行動に疲弊している状態かもしれません。心のエネルギーを充填するはずの家庭が、「学校に行きなさい」というプレッシャーを加えられる場所に変化してしまったら、子どもはどこでエネルギーを充填すればいいのでしょうか。

不登校の子は、学校に行くことに能動的に反対しているわけではありません。

我が子は、学校に行くことがものすごいストレスとなり、心のエネルギーがもぎ取られているように見えます。小学校の時に見せていた、あふれるばかりのエネルギーが感じられません。ここで、私たち親が「学校に行きなさい」というプレッシャーを与え、無理強いしたら、この子は潰れてしまう。その危うさをザックリと感じました。

だから、父親である私は、この子の安全基地としてあり続け、心のエネルギーを与える存在であろうとグッと思ったのです。でも、私にとっても、胸が締め付けられるような苦しさを感じました。苦しかった。「学校に行かなければダメだっ!」と、ああ、言うことができたらどれだけ自分は楽になれるのか。逡巡しました。でも、それを言ってしまったら…。

「学校に行かなくてもいいよ」と言ったその時の、我が子の安心した顔、この顔こそ、親の心を癒してくれる。それでよかった。

 

基本的信頼

基本的信頼はE.H.Eriksonが提唱したライフサイクル論に含まれる概念です。人の発達を8段階に分けて、乳児期(0~1歳半)に達成すべき課題を基本的信頼としています。

乳児が信頼できる養育者から養育されることで、自分や他者を信頼できるようになる。この課題に成功することで希望を抱くことができる、というものです。

我が子はすでに中学生ですから、基本的信頼という発達課題が求められる年齢ではありません。しかし、その子が、とても辛い心理状態になったとき、頼りにするのは昔(以前の発達段階で)獲得した発達課題です。

布団を頭からかぶってしまうほど、自分の心を守りたくなっている事態は、かなり辛い心理状態となっていると思います。そんな時こそ、養育者の庇護によって、その子の「自分に対する希望」「生きていけるという希望」を守ってあげなくてはならないと思います。

自分が生きていけるという希望があれば、生きていける。

 

 

「学校に行きたくない」と言えた勇気を褒めた

「今日は学校に行きたくない」と言った月曜日。我が子は頑として制服を着ようとしなかった。

私たち両親は、必死に説得を試みた。

「どうして行きたくないんだい。」と話し合いをした。

「だって、毎回教室が変わるし、その班も毎回違うし。わからない!」

そうだった、心理師なので診断はできないが、我が子は注意欠如/多動性障害(AD/HD)の傾向が強い。特に配分性注意(同時処理)が弱く、複数の事を同時に実行するのが、とても苦手であった。

(後に、これ以外にも行きたくない理由があることを話してくれた。)

「だったら、パパから学校の先生にお話しして、上手くできるようにしてもらうこともできるよ。」と説得してみたが、子どもの涙と辛そうな顔を見ていると、「これは良くない」という直感がきた。

母親である妻は何とか学校に行かせたいようだ。それはそうだ。親は子どもが辿る未来を既に経験している。だから、ここで学校に行かなくなったらどんな困難があるか"分かってしまう"のだ。子どものことを本当に心配しているからこそ、学校に行かせようとする。子どもを思う親のその気持ちは、大切なこと。

しかし、当の子どもにとってはどうなのか。これから自分次第で変えていくことのできる自分の未来、であるはず。

父親である私は、自分の中学時代を思い出していた。中2で転校生となった私は、勉強も運動もまあまあできる存在から、異端として厳しい思いをすることになった。毎日、学校に行きたくなかったが、行かないという選択肢がなかったので、行った。辛いことの記憶が多いが、良い友達もいた。中学で転校させた親に恨みがあった。自分の未来が悪い方に変えられたと。

私は腹を決めた、「我が子を褒めよう」「子どもの安全基地であり続けよう」と。

「いいよ。学校に無理に行かなくても。パパは、『学校に行きたくない』とはっきり自分の意見が言えたことは素晴らしいことだと思うんだ。」「実は、パパも中学校に行きたくなかったのに、親、おじいちゃんだね、に言えなくて。それに比べて、あなたは自分の意見をはっきりと親に言えたんだから、偉いよ。」

「えっ、パパも行きたくなかったの?」

「そうなんだよね。」

「そういえば、パパも大学を辞めちゃったんだもんね。」

「そうなんだよね~」

我が子の顔が柔らかくなった。そうだよ、無理に学校に行かせようとすると、親も子どもも辛いだけ。子どものことを大切に思っている親は、子どもが辛い表情をしていることは、悲しい。子どもが嬉しそうな笑顔でいることが、嬉しい。

中学生なんて、まだまだ子ども。養育者に対する基本的信頼(E.H.Erikson)をもち、安全基地(M.Ainsworth)とすることで、積極的に生きていくことができる。

高等教育の現場で働いている私ですが、高等教育といっても「そんなに優秀でなくてもいい」高等教育なので、色々な学生さんが入学する。親の期待に応えきれず、半分挫折して入学する学生さんもいる。親の期待に応えられた子どもは幸せなのですが、応えられなかった子どもは、複雑な心を抱え込んでしまう。私のいる学校では、かなりの割合で、再び挫折してしまう。専門性の高い学校なので、意欲がないと続けられない。卒業しても、受験した国家試験を落とす。親の生き方を生きる子どもが、上手くいかなかったときにどのようになってしまうのか、一般化するのは危険すぎるが、具体例を目の当たりにしている。

まずは、子どもの心が元気であること。これを大切にしなくては。と思った。

 

 

 

運命の月曜日が来た

金曜日の朝、「学校に行きたくない」と我が子が言い、頭から布団をかぶった。私は「いいよ」と言った。

ついに、次の月曜日の朝が来た。

朝、子どもを起こすのは私の役目だ。なかなか起きないが、頑張って起こす。

朝食をとり、着替える段になって、ついに我が子が口を開く。

「今日は行きたくない」

ああ、そうか。やはり、そうか。

「今日は」と言ったが「今日から」だろう。今日から学校に行かなくなる。恐怖だった。こわかった。本当になってしまった。ああ…

母親である妻は「どうして行きたくないの?」と聞いている。我が子の答えは、何だっただろう。覚えていない。覚えていないのは、それが我が子の本心でないと直感したからだ。

私も妻も、かなり学校に行かせようと粘った。私も強めに「今日行かなくなると、もっと行きにくくなるから、行こう」と"説得"したのを、とてもよく覚えている。

我が子は、学校には行かなかった。頑として制服に着替えなかった。

夫婦で不登校の心配をする

我が子が「学校に行きたくない」となり、「今日は行かなくてもいいよ」とした金曜日の夜。土曜日の夜。夫婦で「月曜日はどうするか」という話し合いをした。

まずは、学校に行かない可能性について。「あるだろうな」は父親である私の意見。「だけども、それでいいの?」という母親である妻の意見。

月曜日に「学校に行きたくない」と言ったら、どうするか。

「まずは、子どもの話を聞くようにしよう。」

「でも、ここで行かなくなったらもう行けなくなる気がする。」

強めにでも学校に行くことを促した方がいいのか?

我が子の気持ち、信頼、愛情、我が子の未来、様々な思いと考えが錯綜する。

答えはみつからない。

月曜の朝次第か。月曜の朝が来る。

 

学校に行きたくない(入学してまだ4日…)

中1は大変です。環境もやるべきことも大きく変化する。それにいきなり対応するのは、子どもたちにとっては大きなストレス。

そんな我が子も、ついに中1となる。入学式が終了し、通常の授業が開始となる。うーん、何か我が子に違和感。

我が家は中学校から遠いので自転車通学。この日は自転車登録をするため、学校まで自転車を押して行かねばならなかったらしい。しかし、家でグズグズしてなかなか学校に行こうとしないので、父親である私も母親である妻も、「さあ行こう」と促す。私は一番に家を出て出勤。

すると、妻から連絡。「学校に行かないって!」

とんぼ返りで家に戻ると、布団を頭からかぶった我が子が。「まあまあ、どうしたんだい」と話を聞くことに。

「遅刻しそうだったのに、自転車を持っていくのを忘れて、戻ってきたけどもう学校に間に合わない。だから今日は行きたくない。」

(妻が私の顔をじっと見つめる。どうしたらいいの?という顔だ)

「そうか~」(私も決意する)「遅刻するのは嫌だもんな。うん、いいんじゃない。今日はお休みしよう。学校の先生にも電話でお話しておくよ。」

その時の、我が子の「ほっとした顔」が印象的だった。今日は金曜日。明日明後日と学校はない。月曜日は…。

(大丈夫だろうか。だいじょうぶだ。ダイジョウブ…と思いたい。)