不登校の子の父親である公認心理師が語るブログ

不登校の我が子の出来事を、父親かつ教育現場で働く公認心理師の立場からお話します

「学校に行きたくない」と言えた勇気を褒めた

「今日は学校に行きたくない」と言った月曜日。我が子は頑として制服を着ようとしなかった。

私たち両親は、必死に説得を試みた。

「どうして行きたくないんだい。」と話し合いをした。

「だって、毎回教室が変わるし、その班も毎回違うし。わからない!」

そうだった、心理師なので診断はできないが、我が子は注意欠如/多動性障害(AD/HD)の傾向が強い。特に配分性注意(同時処理)が弱く、複数の事を同時に実行するのが、とても苦手であった。

(後に、これ以外にも行きたくない理由があることを話してくれた。)

「だったら、パパから学校の先生にお話しして、上手くできるようにしてもらうこともできるよ。」と説得してみたが、子どもの涙と辛そうな顔を見ていると、「これは良くない」という直感がきた。

母親である妻は何とか学校に行かせたいようだ。それはそうだ。親は子どもが辿る未来を既に経験している。だから、ここで学校に行かなくなったらどんな困難があるか"分かってしまう"のだ。子どものことを本当に心配しているからこそ、学校に行かせようとする。子どもを思う親のその気持ちは、大切なこと。

しかし、当の子どもにとってはどうなのか。これから自分次第で変えていくことのできる自分の未来、であるはず。

父親である私は、自分の中学時代を思い出していた。中2で転校生となった私は、勉強も運動もまあまあできる存在から、異端として厳しい思いをすることになった。毎日、学校に行きたくなかったが、行かないという選択肢がなかったので、行った。辛いことの記憶が多いが、良い友達もいた。中学で転校させた親に恨みがあった。自分の未来が悪い方に変えられたと。

私は腹を決めた、「我が子を褒めよう」「子どもの安全基地であり続けよう」と。

「いいよ。学校に無理に行かなくても。パパは、『学校に行きたくない』とはっきり自分の意見が言えたことは素晴らしいことだと思うんだ。」「実は、パパも中学校に行きたくなかったのに、親、おじいちゃんだね、に言えなくて。それに比べて、あなたは自分の意見をはっきりと親に言えたんだから、偉いよ。」

「えっ、パパも行きたくなかったの?」

「そうなんだよね。」

「そういえば、パパも大学を辞めちゃったんだもんね。」

「そうなんだよね~」

我が子の顔が柔らかくなった。そうだよ、無理に学校に行かせようとすると、親も子どもも辛いだけ。子どものことを大切に思っている親は、子どもが辛い表情をしていることは、悲しい。子どもが嬉しそうな笑顔でいることが、嬉しい。

中学生なんて、まだまだ子ども。養育者に対する基本的信頼(E.H.Erikson)をもち、安全基地(M.Ainsworth)とすることで、積極的に生きていくことができる。

高等教育の現場で働いている私ですが、高等教育といっても「そんなに優秀でなくてもいい」高等教育なので、色々な学生さんが入学する。親の期待に応えきれず、半分挫折して入学する学生さんもいる。親の期待に応えられた子どもは幸せなのですが、応えられなかった子どもは、複雑な心を抱え込んでしまう。私のいる学校では、かなりの割合で、再び挫折してしまう。専門性の高い学校なので、意欲がないと続けられない。卒業しても、受験した国家試験を落とす。親の生き方を生きる子どもが、上手くいかなかったときにどのようになってしまうのか、一般化するのは危険すぎるが、具体例を目の当たりにしている。

まずは、子どもの心が元気であること。これを大切にしなくては。と思った。