不登校の子の父親である公認心理師が語るブログ

不登校の我が子の出来事を、父親かつ教育現場で働く公認心理師の立場からお話します

友だちとの遊びに参加できず(内容は再掲載?自律的動機づけに関連して)

*編集と作成を間違えていたようです。「同じ文面を読んだ」という方はとばしてください。同じ文面を読まれた方にはお詫び申し上げます。

 

パパの学校の職域接種でワクチン接種を行った我が子。

モデルナ製のワクチンなので、やはり副反応が出ました。軽い発熱程度ですが、外出はできません。

ところが、ワクチン接種の翌日に、いつもの相談室の友だちと、再び遊びに行く約束をしていたのです。

最初は「屋内遊戯施設(ボーリングやカラオケなどの複合施設)」に行く予定を立てたらしいのですが、「うーんこのコロナ感染の時期に『屋内遊戯施設』はリスク高くはないか」という親の懸念もあり、また、我が子が「ワクチン接種の翌日なので運動できない」という申告をしたこともあり、映画を見に行くことになりました。

「竜とそばかすの姫」です。(映画館は換気はしっかり行っていますし、空間も広く、座席も離れて座るようになっているので、感染リスクは高くはなさそうです。)

 


こんな経緯がありまして、ワクチン接種翌日に、映画を相談室の友だちで見に行く予定だったのですが…

我が子はワクチン接種後の副反応のため、残念ながら映画に行くことはできず。せっかく我が子のために、屋内遊戯施設から映画に変更してもらったのですが…

 


我が子は友だちと遊びに行けなかったのは、まあ仕方がないと納得はしておりました。もっと「残念だった~!」と言うかな?と思っていましたが、そこはちょっと意外でした。ワクチン接種にあたって、我が子自身が「自分から」打ちたいと思っていたからでしょう。

これが、親に言われたので「仕方なく」ワクチン接種をしたのならば、友だちと遊びに行けなかったことは、かなり不満になっていたと思われます。

 


ここで言うところの「自分で決定する」、という要素は思春期から成人にかけて、とても大切になります。動機づけ(モチベーション)として捉えると、「自己決定理論の中の、特に有機的統合理論(Deci & Ryan)」による「自律的動機づけ」といえます。学ぶことや働くことなど多くの活動において自己決定すること(自律的であること)が高いパフォーマンスや精神的な健康をもたらすとする理論です。

中学校になると、強制させられること「制服を着なければならない」「授業科目によって教室を移動して各班に分かれて待機していなければならない」「自転車教室の試験に合格してからでないと自転車登校をしてはならない」など、「○○してはならない」「○○しなくてはならない」ことが増えてきます。

一方、思春期を迎えた子どもたちは、「自分のことは自分で決めたい」という意志が生まれてきています。しかし、中学校では子どもたちが「自己決定する」ことは非常に少ないのかなと感じます。もちろん、「社会のルールを学ばせるために必要なこと」「働くにはそうしたルールに従えないとダメ」「好き勝手にさせていたらわがままになってダメな大人になる」という意見に正当性はあります。

そこでは、いかに「そのルールを守ることが自分たちにとって大切なのかを『納得させる』こと」が重要です。そこは、個々の教員の力量によって差が生まれているように感じます。(小学校の高学年でも同様でしょうか)

我が子を見ていると、この「自己決定」というのは、大きなキーワードになっているようです。他者(大抵が親)に言われてやったことは、長続きせずに辞めてしまうし、「楽しくなかった」と言うし、不満しか残りません。これは親が我が子を納得させられていないという証拠でもありますが…(学校の先生のことを言えませんね)。

しかし、自分で「やる」と決めたことは、続けています。正直、親がびっくりするくらいの持続力です。

 


とはいえ、映画は映画でかなり見たかったようで、「『竜とそばかすの姫』が見たかった~」と。「今度、見に連れて行って~」と申しておりました。これには、「じゃあ、今度の休みの日にでも行こう」と言ってあげました。

 


パパとしては、友だちと遊びに出掛けて欲しいとは思っておりますが、ワクチン接種は大切ですから、うーん、ちょっと残念でしたが、ワクチンが打ててホッとしております。