不登校の子の父親である公認心理師が語るブログ

不登校の我が子の出来事を、父親かつ教育現場で働く公認心理師の立場からお話します

作成したCGや動画の評価を求められる

不登校の我が子、学校に行かずGimpを使って「ゆっくりキャラ」をCG加工して楽しんでいます。本当に楽しいらしくて、その数もどんどん増えていきます。

特に、自信作ができたときは、パパの私に「どうよ。結構頑張ったよ。こことここがこうで・・・」と説明してくれます。もちろん、パパ(身近な他人)の評価を待っているのです。

もちろんほめるのですが、適当にほめておくのはダメです。我が子は「真剣に」作っているのだから「真剣に」評価・コメントしなければなりません。

しかし、プロのCGを基準として評価したらもちろんダメですよね。私たちだって、最初からプロではないわけです。ついつい親は、「将来CGで食べていくなら」と厳しい目線で評価しがちですが、それは中2の子どもには厳しすぎます。

卓球の選手は小さいころからの訓練が必要らしいのですが、かといって5歳の子どもに全日本レベルの球を打ち込んで返球しろ、というわけではありませんよね。

(たぶん。想像ですが・・・)

その子がギリギリできるところを見極めて、そこを伸ばすように教えてあげながら、反復練習するわけです。

それはロシアの心理学者ヴィゴツキー(Vygotsky,L.S)の「発達の最近接領域(ZPD)」が提唱した発達理論として有名です。

ヴィゴツキーは、子どもの発達水準を、子どもだけで解決できる水準(現時点の発達水準)と、自分だけでは解決できないが大人や指導者の適切な手助けがあれば可能となる水準(潜在的な発達可能水準)、に分けました。

潜在的な発達可能水準ー現時点の発達水準」=「発達の最近接領域(ZPD)」

このZPDに、大人や教育者が適切に働きかけることで、潜在的な能力を伸ばしてあげるのが大切なのです。

となると、我が子が「どうよ。この絵?」と評価を求めてきた場合、まずは、自分でできる限り努力して仕上げた成果を「本気でほめます」。すでに、私にはできないことをやっているので率直に「ほめます」。また、その頑張りにも、親として素直にほめます。そのうえで、「どの辺りに苦労したのか」とか、「どの辺りに工夫を込めたのか?」など質問するようにしました。すると、「ここをこうして」とか教えてくれます。その具体的な方法もやって見せたりしてくれました。すると、結構細かい作業をしていることが分かりました。「おおー、なるほどー」と感心しましたね。

しかし、私はCGの技術がないので、具体的に適切な指導をしてあげることはできません。CGの技能の潜在的な発達可能水準を見極めることができないので、CG技能のZPDに働きかけることはできません。が、「どの辺りに苦労したのか」とか、「どの辺りに工夫を込めたのか?」などのやり取りする中で、我が子は自分なりに次の課題を見つけるようです。「でも、髪のこの辺りがちょっと不自然で」とか「この色の変化が」とか、「もっとこうできたら」という思いが湧いてでてくるようです。

だから、次のCG作成へと意欲が向いていくのでしょうね。

この我が子の持つ・発する「意欲」。これこそ大切にしてあげなければならないことだと、心から思いました。

きっとこの意欲は、この子がこれから「生きていく」ための意欲に繋がっていくに違いないと。