不登校の子の父親である公認心理師が語るブログ

不登校の我が子の出来事を、父親かつ教育現場で働く公認心理師の立場からお話します

「子どもにおまかせ」と妻に伝えてみた

家に帰ると早速、妻に「子どもにおまかせしよう」と伝えてみた。

心理師の先輩の話は時々していたので、なんとなく話はしやすい。

しかし、妻は「でも、その先輩は自分で大検を取って、心理師になっているんでしょう。大学院も出て。そもそも優秀だったんじゃないかしら。優秀だったら学校に行かなくたって、勉強も何とかなるし、やりたいことだけを専門学校とか大学から始められるけど。うちの子はそれができると思う?」

うーん、それはそれで正しいと思う。

 

しかし、「おまかせ」という4文字に含まれる内容には、いろいろなことが含まれている。

まず、子どもの自主性を尊重する、という親の態度。

児童期になると、幼児期に獲得した発達課題である自律性や積極性(自主性)を「勤勉性」という発達課題の中で発揮していく段になる。

学校に行っていれば、勉強や運動といった学校教育のなかで、その勤勉性を獲得するべく自律性や積極性を発揮すればいい。さらに中学・高校と進むにつれて「自分とは何か」というアイデンティティ(自我同一性)の獲得のためもがくことになる。多くの親(私も)は、その形を望んでいる。

ところが、子どもが不登校になってしまうと、子どもの自主性を尊重し、学校に行かないことを承認してしまうことに戸惑いが生じる。妻の意見も、もっともだ。

 

しかし、子どもにエネルギーがあれば、「自分がしたい」と思うことはしようとする。不登校であった本人(先輩心理師)から、そう言われると、そこは、そうなんだよな。

しかも、私の同僚にはもう一人不登校であった教員がおりまして。その同僚は中学・高校とほとんど学校に行かなかったそうだ。親のプレッシャーがあり、リストカットなどかなりやばい状態であったが、親友がいつもそばに居て、一緒に学校に行ってくれたり、辛そうだと「一緒に学校をさぼってくれたり」したそうだ。同僚はその親友がいたからこそ、今の自分があると言っている。親には「ただ、放っておいて欲しかった」そうだ。

その同僚にも我が子の話をすると、「大丈夫ですよ。自分で動きますよ。」という返事であった。

周りに不登校の人だらけ、という方が珍しいのかもしれない。

しかし、これまでの我が子を見てきているからこそ、心のエネルギーさえあれば、自分でやろうと思えば自分で動き出すのではないか。そこを信じてみたい、という気持ちがあった。

そんな話し合いが、まだまだ夫婦の間で続いた。